夏の宮崎訪問の時、「そう言えば、初めて日本に来たのは、ちょうど40年前だった」ということに気がついた。2年間フランクフルト大学で日本学などを勉強した後、1971年の秋、奨学金の旅行代を持って南回りで日本まで来た、高等学校の同級生のW君と一緒に。3月7日、船で台湾から鹿児島に到着し、すぐヒッチハイクで旅行を続けた。初めて泊まったところは宮崎だった。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年12月4日
片柳先生とW君とドイツの詩の解釈を話した。「経験」というHoffmannの詩を議論した。W君と僕から見たら、本当の詩ではない。併し片柳先生は、これの「気持ち」は彼と同じだから非常によいという。海に沈むことを死ぬと比較する詩で、先生は、これは彼の「夢」に似ているので、理解出来ると。僕は1965年に、もうこういうようなことを言う歌を書いたことがあるので、なんかHoffmannのこの詩は青年の気持ちを表すんじゃないかと思ったが、言わない、もちろん。
市バスの乗り場に立ち待ってみかんを食べているとき、突然観光バスから小さな女子学生たちはずっと僕を観察することに気がついた。彼らは僕のみかんを「下さい」という手のジェスチャーをすると、彼らも僕も笑い出す。こういう突然の出会い、というのは互いの全然興味のない、利益を考えない、続きのない出会いは、文字通り「人間らしい」のではないだろうか。それでも何となく感情のある出会いでもある。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年12月4日
片柳先生とW君とドイツの詩の解釈を話した。「経験」というHoffmannの詩を議論した。W君と僕から見たら、本当の詩ではない。併し片柳先生は、これの「気持ち」は彼と同じだから非常によいという。海に沈むことを死ぬと比較する詩で、先生は、これは彼の「夢」に似ているので、理解出来ると。僕は1965年に、もうこういうようなことを言う歌を書いたことがあるので、なんかHoffmannのこの詩は青年の気持ちを表すんじゃないかと思ったが、言わない、もちろん。
市バスの乗り場に立ち待ってみかんを食べているとき、突然観光バスから小さな女子学生たちはずっと僕を観察することに気がついた。彼らは僕のみかんを「下さい」という手のジェスチャーをすると、彼らも僕も笑い出す。こういう突然の出会い、というのは互いの全然興味のない、利益を考えない、続きのない出会いは、文字通り「人間らしい」のではないだろうか。それでも何となく感情のある出会いでもある。