夏の宮崎訪問の時、「そう言えば、初めて日本に来たのは、ちょうど40年前だった」ということに気がついた。2年間フランクフルト大学で日本学などを勉強した後、1971年の秋、奨学金の旅行代を持って南回りで日本まで来た、高等学校の同級生のW君と一緒に。3月7日、船で台湾から鹿児島に到着し、すぐヒッチハイクで旅行を続けた。初めて泊まったところは宮崎だった。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年11月20日
青空と空気が暖かい
春にかわる秋
Willyの勝ち!
最後まで心配した。すごい心配。ようやく、やっと:頭も体全体も暑くなってきた。勝った勝った、Willy Brandt首相が総選挙で勝った。
「勝つ」という言葉は弱い。僕たちの運命に関連する決定だ。毎日疑問を抱いた。ドイツ人はまさか・・・しかし、SPDは説得力が足りる。反対派は強くて、フェアーじゃないけど、無駄だった。馬鹿たち!Willyの方が強い。ああ、満足だ。
新聞は載ってなかったけど、ラジオも何も、だから京都新聞に電話し、結果が分かった。W。どこかに飲みにいこう。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年11月20日
青空と空気が暖かい
春にかわる秋
Willyの勝ち!
最後まで心配した。すごい心配。ようやく、やっと:頭も体全体も暑くなってきた。勝った勝った、Willy Brandt首相が総選挙で勝った。
「勝つ」という言葉は弱い。僕たちの運命に関連する決定だ。毎日疑問を抱いた。ドイツ人はまさか・・・しかし、SPDは説得力が足りる。反対派は強くて、フェアーじゃないけど、無駄だった。馬鹿たち!Willyの方が強い。ああ、満足だ。
新聞は載ってなかったけど、ラジオも何も、だから京都新聞に電話し、結果が分かった。W。どこかに飲みにいこう。