夏の宮崎訪問の時、「そう言えば、初めて日本に来たのは、ちょうど40年前だった」ということに気がついた。2年間フランクフルト大学で日本学などを勉強した後、1971年の秋、奨学金の旅行代を持って南回りで日本まで来た、高等学校の同級生のW君と一緒に。3月7日、船で台湾から鹿児島に到着し、すぐヒッチハイクで旅行を続けた。初めて泊まったところは宮崎だった。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年10月11日
日本の政治家は今中国と「和解」を望んでいる、とみんなは言う。理由は、彼らによると、経済関係に関心があるから、と。それは「和解」であろうか。一生懸命に中国へ走って、急いで話し合いたい、条約を結びたいし。なんでそんなに速くか。中国人は何を考えるのだろうか。首相は一番急いでいってしまいたい。北京では、彼は「過去を忘れましょう」と言ったらしい。ま!!彼はそういうべきだろうか。それは中国人が言う希望があればいいけれど、さ!台湾のことを全然気がしないようだ。もちろん、台湾も独裁の国だが、日本政府は、「経済関係と文化関係を続けたい」という。今度台湾人は日本人のことをどう思うのだろうか。
考えれば、戦争はもう三十年前のことだが、まだ何か残っている。不思議。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年10月11日
日本の政治家は今中国と「和解」を望んでいる、とみんなは言う。理由は、彼らによると、経済関係に関心があるから、と。それは「和解」であろうか。一生懸命に中国へ走って、急いで話し合いたい、条約を結びたいし。なんでそんなに速くか。中国人は何を考えるのだろうか。首相は一番急いでいってしまいたい。北京では、彼は「過去を忘れましょう」と言ったらしい。ま!!彼はそういうべきだろうか。それは中国人が言う希望があればいいけれど、さ!台湾のことを全然気がしないようだ。もちろん、台湾も独裁の国だが、日本政府は、「経済関係と文化関係を続けたい」という。今度台湾人は日本人のことをどう思うのだろうか。
考えれば、戦争はもう三十年前のことだが、まだ何か残っている。不思議。