夏の宮崎訪問の時、「そう言えば、初めて日本に来たのは、ちょうど40年前だった」ということに気がついた。2年間フランクフルト大学で日本学などを勉強した後、1971年の秋、奨学金の旅行代を持って南回りで日本まで来た、高等学校の同級生のW君と一緒に。3月7日、船で台湾から鹿児島に到着し、すぐヒッチハイクで旅行を続けた。初めて泊まったところは宮崎だった。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年10月25日
合気道部の部員たちは互いの個人的なことは知らない。同じ年齢の人だけ知っている。他に、みんなは先輩だけを見ている。一番上の先輩は一番下の後輩に直接話しない。その間にいる後輩を通じて話している。伝統だろう。
今日見た中国の映画で同じことを見た。同じ伝統かな。それと、戦いの時、合気道の技も見えた。武道の伝統かな。
朝に起きたとき、ラジオでベートーヴェンの「運命」が「ちゃちゃちゃちゃぁん」。いま、夜11:15分、又同じ「運命」。ちょっと運命を考えさせすぎる。
川端の「眠れる美女」を読んだが、これを理解できるほどまだ年取ってない。只、三島の説明論も分からない。