夏の宮崎訪問の時、「そう言えば、初めて日本に来たのは、ちょうど40年前だった」ということに気がついた。2年間フランクフルト大学で日本学などを勉強した後、1971年の秋、奨学金の旅行代を持って南回りで日本まで来た、高等学校の同級生のW君と一緒に。3月7日、船で台湾から鹿児島に到着し、すぐヒッチハイクで旅行を続けた。初めて泊まったところは宮崎だった。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年10月20日
合気道で疲れてドムハウスに行った。ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone)」で元気になった。間違いなく一番好きな歌だ。
ちょっとバウムガルト(Reinhard Baumgart)がトーマス・マン(Thomas Mann)について書いた論文を読んだ。「クラッシック」の時代から発達してきた小説ということは19世紀の終わり頃にただアイロニーで存在がつけられた。そしてアイロニーとはニヒリズムに近い。だから今現在の作者は、「事実」を知ることが出来ないのを認めなければならない。この世を「まじめ」に見ては行けない。したかったら、事実を受け取れないで、間違い、誤解ばかりしがちになってしまう。だから本当の、心で感じる「愛情」ということもない。
差。こういうことはそうであれば、作者になれるが、女と男の間の関係はどうなる?小説が全然知らない人たちも「愛情」を感じるだろう。それは中世時代か近代、いつでも同じではないか。なら、アイロニーで愛情を感覚する者は作者であるかも分からないが、併し普通の人間はアイロニーよりも愛を感じると思う。
僕は両方を感じたことがある。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年10月20日
合気道で疲れてドムハウスに行った。ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone)」で元気になった。間違いなく一番好きな歌だ。
ちょっとバウムガルト(Reinhard Baumgart)がトーマス・マン(Thomas Mann)について書いた論文を読んだ。「クラッシック」の時代から発達してきた小説ということは19世紀の終わり頃にただアイロニーで存在がつけられた。そしてアイロニーとはニヒリズムに近い。だから今現在の作者は、「事実」を知ることが出来ないのを認めなければならない。この世を「まじめ」に見ては行けない。したかったら、事実を受け取れないで、間違い、誤解ばかりしがちになってしまう。だから本当の、心で感じる「愛情」ということもない。
差。こういうことはそうであれば、作者になれるが、女と男の間の関係はどうなる?小説が全然知らない人たちも「愛情」を感じるだろう。それは中世時代か近代、いつでも同じではないか。なら、アイロニーで愛情を感覚する者は作者であるかも分からないが、併し普通の人間はアイロニーよりも愛を感じると思う。
僕は両方を感じたことがある。