Quantcast
Channel: ambassador @ young-germany.jp
Viewing all articles
Browse latest Browse all 235

日本初滞在日記(77)

$
0
0
夏の宮崎訪問の時、「そう言えば、初めて日本に来たのは、ちょうど40年前だった」ということに気がついた。2年間フランクフルト大学で日本学などを勉強した後、1971年の秋、奨学金の旅行代を持って南回りで日本まで来た、高等学校の同級生のW君と一緒に。3月7日、船で台湾から鹿児島に到着し、すぐヒッチハイクで旅行を続けた。初めて泊まったところは宮崎だった。

ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。


1972年10月23日

京大前に今まで一番ワイルド、一番いい芝居を見た。4時間もかかり、4つの舞台の上で同時に上演し、俳優は15名、オーディエンスは30名。言葉はもちろんそれほど分からないが、イメージは強い。女の俳優たちは透明のプラステックの袋の中で、唇はすごく赤色で、エレクトロの音楽によって動いた。男は鶏をファッルスの代わりに持ち、女たちを動物のように見つめて回った。急にロシアの民謡を歌い、色っぽい着物を着る別な女たちが出てきて、変なポーズをとった。急にみんなそのままに止める。労働者の様子の男たちは他の俳優たちを別な舞台へ持っていく。又別な舞台に男一人が来て、彼は生きている犬を持って来る。大きいナイフで犬を殺す。オーディエンスは「おお!!!」と、上のスピーカーからの大声は「終わり!」という。併し、犬を殺した人は自分の腕も切った。血がいっぱい流れて来ると、女の子が急いで助けに来る。僕は外に出ると、救急車はもう着いて来る。オーディエンスはもう出て行ってしまった。誰とも話が出来ない。今まで分からないのは、最後のこと、これも「芝居」であったか。自分を切るのは、現実と劇を結びつけることとして考えられるだろう。
併し今日えっちゃんに頼んで、京都新聞に聞いてもらっても、新聞ではこの芝居のことは誰も知らない。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 235

Trending Articles