夏の宮崎訪問の時、「そう言えば、初めて日本に来たのは、ちょうど40年前だった」ということに気がついた。2年間フランクフルト大学で日本学などを勉強した後、1971年の秋、奨学金の旅行代を持って南回りで日本まで来た、高等学校の同級生のW君と一緒に。3月7日、船で台湾から鹿児島に到着し、すぐヒッチハイクで旅行を続けた。初めて泊まったところは宮崎だった。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年10月24日
昨日と今日のような明るい空を見たことがあったかどうかは覚えていない。吉田山から見た満月を暗い空の中に見て、木の陰をその空の前に。大文字山の木を手を出すと触ることが出来るように近くにあるよう、窓の前の杉の木の皮までも見えるよう。写真よりはっきりとしている。
ナンシーは先に言った、「あんたのような頭の元気な人を滅多に会ったことがありません」と。どうしてと聞くと、僕はどこかに遊びにいく代わりにまだ終わらない漢字の勉強を終わりまで続けたいからと。ちょっとひどいと思う。ナンシーも勉強したいことがあるんじゃないかと彼女に聞いた。聞くと、「でも、遊びたいと、突然遊ぼうとも決めることが出来ますよ」と答えた。「わたしたちは勉強したいということのまねしているだけのではないか。あんたはそれで満足できますか」と続けた。
はい、出来ます。「したい」ということは頭の中だけだ。僕は勉強すると、それは事実だ。まねではない。だから満足だ。と、ぼくは彼女に答えた。
ということを思い出した後、夏休みのドイツ滞在中、昔の箪笥の中からその時代の日記を探し出した。ちょっとだけ読んだら、「大使日記」の読者たちがこれを読むと面白いと思うのではないだろうかと、これからできたら時々ちょっとだけ昔の日記から紹介してみたいと思った。
もちろん全部そのままドイツ語からの直訳ですが・・・
では、お楽しみに。
1972年10月24日
昨日と今日のような明るい空を見たことがあったかどうかは覚えていない。吉田山から見た満月を暗い空の中に見て、木の陰をその空の前に。大文字山の木を手を出すと触ることが出来るように近くにあるよう、窓の前の杉の木の皮までも見えるよう。写真よりはっきりとしている。
ナンシーは先に言った、「あんたのような頭の元気な人を滅多に会ったことがありません」と。どうしてと聞くと、僕はどこかに遊びにいく代わりにまだ終わらない漢字の勉強を終わりまで続けたいからと。ちょっとひどいと思う。ナンシーも勉強したいことがあるんじゃないかと彼女に聞いた。聞くと、「でも、遊びたいと、突然遊ぼうとも決めることが出来ますよ」と答えた。「わたしたちは勉強したいということのまねしているだけのではないか。あんたはそれで満足できますか」と続けた。
はい、出来ます。「したい」ということは頭の中だけだ。僕は勉強すると、それは事実だ。まねではない。だから満足だ。と、ぼくは彼女に答えた。